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2012年9月24日月曜日

チャドクガ退治

サザンカにチャドクガが発生しているのを発見。この数年は大丈夫だったものだが、今頃急に出てきた。大嫌いな害虫。効かぬ体だが、なんとか退治する:

  1. スミチオン500倍水溶液5リットルを用意。普通は1000倍希釈で良いのだが、今回は強烈版にしてやった。
  2. 防護服。帽子、ゴーグル、手袋、長袖長ズボン、靴下に靴。
  3. 火箸〔タング〕、剪定バサミ、ビニールゴミ袋〔90リットル〕を準備。
  4. 薬剤散布、あまり一カ所に集中してかけると、チャドクガがぽたぽた地面に落ちてしまうので後の回収がやっかい。敵が枝葉に着いたまま死ぬように散布量を加減する。
  5. 散布が終わると、枝の剪定。枝が揺れないように細心の注意を払うこと。枝が揺れると死んだチャドクガが毒粉をまき散らす。火箸〔タング〕で枝を掴み、その下を剪定バサミでそっと剪る。剪った枝はチャドクガごとゴミ袋に回収。
  6. 地面に落ちたチャドクガの死骸も一つ一つ火箸で回収しゴミ袋に。
  7. ゴミ袋を密閉する。おしまい。
サザンカは無惨にもほとんど丸坊主になってしまった。でもチャドクガを退治出来てよかった。〔目黒区では一般家庭の害虫でも、チャドクガに限っては区で駆除してくれるらしい。でも新宿区はビンボーなのでやってくれない〕

むかし余丁町に住んだ永井荷風もツバキに集るチャドクガには苦労した。「園丁すら近づこうとせず」と散々文句をいいながら、手燭ロウソクで一つ一つ焼き殺したとのこと〔『断腸亭日乗』)。現代は化学の進歩で農薬があるから便利。「無農薬園芸」などアホなことに拘る人はどうぞロウソクでチャドクガ退治をしてくだされ。おいらはゴメン。

2010年9月2日木曜日

屋根をダブルにすると省エネ効果は抜群!

Google航空写真で見てみるとおいらの家の屋根が傷んでいることに気づき、補修を業者に頼んだ。断熱材入りの新たな屋根を既存の屋根の上に被せる方が屋根の葺き替えより効果的で経済的だというので依頼。東京を留守にしている間に出来上がっていた。断熱効果抜群。おすすめだな。

エアコンは「冷房」に入れる必要がなくなった。「ドライ」で充分。湿度を60%程度まで下げると室温は26〜7度でも気にならない。夜間は体温を下げる方がよく眠れるので「ドライ」のままもう少し(マイナス1度に)下げる。 朝起きると室温24度。日中もほとんどこの温度が維持されるので冷房に入れる必要はない。

お隣の「エコおばさん」は太陽光パネルを入れているが、見てくれが悪いばかりか経済的に割の合わない投資であることがはじめからわかっている(なのに「エコ」が流行なのでみんな導入している)。経済的合理性のないものは機能的でなく、機能的でないものはみっともない。資源の無駄遣いである。

持続的な環境保全とは経済合理性と両立するものでなくてはならない。

2010年2月17日水曜日

BBC地球伝説:マヤ文明の崩壊のなぞ……これもよかったですよ

これ:
BS朝日 - BBC地球伝説: "高度に発達した壮麗な古代マヤ文明は、なぜ1200年前に突然、短期間で消滅したのだろうか? マヤ文明崩壊の謎に魅了されたひとりの男ディック・ギルは、その原因を干ばつだと考え、世界中からその証拠を集めていく。と同時に、自然の猛威に対して人間がまったく無力な存在であることを思い知らされる。果たして、彼は、マヤ文明が大自然の猛威によって滅んだという自説を立証することができるのだろうか?"
そう、自然の力に対しては人間は全く無力な存在なのだ。人間が地球環境を自分でコントロールできるとかというのは、しょせん幻想ではないか。

温暖化対策とやらの莫大な無駄遣いのツケを払うのはわれわれ「普通の国民」のこどもたち。今後生まれてくるこどもたちはたいへんである。憂国の情が高まる。

2010年2月15日月曜日

BBC地球伝説:古代エジプト文明の崩壊のなぞ……最後は子どもまで丸焼きにして食ったという、地球の気候変動のすさまじさは温暖化ガスなどというチマチマしたものではないのだ!

この番組は知らなかったことをたくさん教えてくれた:
BBC地球伝説 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]: "BBC地球伝説 「古代の黙示録:エジプト古王国の滅亡」4200年前、ナイルのもとで安定した農耕を営み、高度な文明を誇った古王国が崩壊を遂げた。番組では、古王国崩壊の謎に挑む。今から4200年ほど前、謎の崩壊を遂げた古代エジプトの古王国。崩壊の真相を解き明かす答えは意外にもアイスランドの氷河に隠されていた。自然の力の不思議と、古王国滅亡の恐るべき謎が、ついに解き明かされる!"
温暖化ガスとかいう人為的で矮小的な原因でなかったことが衝撃的。

ちっぽけな人間が、宇宙のメカニズムをコントロールできるという「思い上がり」がそもそも間違っていると言うことを、しみじみ実感させてくれた番組であった。こういう番組を作るBBCはえらい。それに較べてイナカへの利益誘導ばかりを主張する環境対策一辺倒のNHKはアホ。NHKが環境でメシを食おうとする利権団体の走狗となってしまっているおかげであるが、彼我の知的レベルの格差はあまりに大きい。

ちなみに「地産地消」をするから最後は自分の子どもまで焼いて食わねばならない羽目になる。この記録を残したのはバグダッドの学者だったが、当時のバグダッドでは食うものが豊富にあった。国境を越えたグローバルな交易が実現できてさえおればこういった悲劇を回避できたのである。ニッポンの農水省と農村ウヨが主張する「地産地消」を進めれば、ニッポンも古代エジプトと同じ悲劇を繰り返すこととなる。

2009年12月28日月曜日

農水省曰く:農水分野に30兆円使えば温暖化ガスを8%削減できる

あらら、やっぱりこう来ましたか:
農水省;農水分野で30兆円かければ温暖化ガスを8%削減可能:"農林水産省は、今後10年間で30兆円規模の費用を森林の整備などにあてれば、農林水産分野の取り組みだけで、温室効果ガスの排出量を2020年までに1990年と比べておよそ8%削減できるという試算をまとめました。"

世界の途上国は、地球温暖化は途上国にとっての絶好の儲けチャンスと捉えている。だから彼らはえげつなくエゴと自分たちへの利益誘導を主張した。農水省のやろうといていることも、それと同じ。いつ来るかと思っていたら、案の定、言ってきました。

ニッポンの都市勤労者や商工業者はどんどんビンボーになっているというのに、彼らは何もしないでお金を貰えるようになったばかりか(農家戸別所得保障制度)、温暖化恐怖ヒステリーに乗じて自分たちへの更なる利益誘導(30兆円)を図る。あまりにもえげつないのではありませんか。「強欲呉れ呉れ資本主義」はニッポンにおいてはイナカに蔓延っているのである。

2009年12月12日土曜日

COP15作業部会議長草案:「エコ・ヒステリーの国が自分だけでやればいいのじゃないの?」

COP15の作業部会の議長国が作った草案だという。ニッポンはまたしてもバカを見てしまった:
NIKKEI NET(日経ネット):京都議定書の継続提示 COP15作業部会草案、日欧に削減義務: "【コペンハーゲン=生川暁】今後の国際的な地球温暖化対策を話し合う第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は11日、事務レベルで協議を進めている作業部会の議長が京都議定書を2013年以降も継続することを柱とする草案を各国に提示した。日欧など一部の先進国だけが引き続き温暖化ガスの厳しい削減義務を負う内容。"
「これこそが正しい」と言って「原理主義的」に温暖化対策をニッポンは主張してきただけに、今さら「みんながやらないんだったら、や〜めた」とは言えない。コミットメントに対する責任と国民負担だけが残ることになる。

こうなることははじめから分かっていたことだ。地球温暖化に関する科学的知見が一致していないばかりではなく、そもそも「温暖化で何処が悪いの?」という根本的な疑問に、エコロは答えていないのである。当然COP15は、「このエコ・ヒステリー・ムードに乗じておいらはどれだけ儲けるか」という現実的な連中の間での利害対立の場となってしまった。

いまや「エコ」は儲かる商売となってしまったのである。だからすべての発展途上国やリアル・ポリティックの国は、温暖化なんてほとんど信じていないにもかかわらず、「どれだけおカネをくれるの?」とか「これでどれだけおいらの発言力を高めるか?」いうスタンスで会議に臨んだ。儲かるネタであるからこそ、地球温暖化は地球の危機だという命題が「世界全国」に支持されたのである。

ハトポッポ君や、(住宅の暖房設備が世界でも一番貧しい国であるにかかわらず)地球温暖化を防止しようとしたニッポンのエコロたちは、とてもナイーブ。今後どんどん毟られるだけだ。嘆かわしいことである。


蛇足:むかし朝日新聞社の記者でエスキモーの生活を実体験したレポートを書いて有名になったのがいる。彼はトナカイの生肉を食いながらエスキモーの家に住んでみたのだが「ニッポンの住宅より暖かい!」と言って感激していたのが印象的だった。ニッポンの住宅の暖房設備は世界的に見ても原始的なフエゴ島の住民並みにひどい。住宅「全体」を温めるという暖房の基本概念を満たしているニッポンの住宅はまだまだ少数派だ。今年の冬は寒くなると言う。エコロはせいぜい暖房を止めて地球温暖化防止に協力したらいい。おいらはごめんだ。

2009年12月10日木曜日

NHK「クロ現」:日本の果物が地球温暖化でたいへん!

いつもながら、クサイ番組をやってます。「クロ現」:
クローズアップ現代 NHK12月10(木)放送 くだもの異変!?:"秋に食べるぶどうやモモ、冬に楽しむりんごやみかん・・・。日本人が「季節の味覚」として楽しんできた身近な果物に異変が起きている。色づきなどの品質が悪くなったり、果肉がやわらかいものが増えたり、さらに、従来楽しんできた季節に食べられなくなったりする事態が生まれているのだ。この冬も、みかんやりんごの日持ちが悪いとスーパーでは頭を悩ましている。最近になって、これらの原因が温暖化によるものだとわかってきた。"
平均気温が一度「も」上がったせいで高級果物店で一個1400円で売られていたリンゴが異変を受けて売れなくなっているという。一箱2万円の果物詰め合わせも、特定の果物が大きくなりすぎたので「箱のバランスがとれなくなった」から大問題だとのこと。アホらしい。おいらはそんなバカダカイものは、はじめから買わない。

高級リンゴがなくなって大問題だという消費者も紹介されていたが、たかがリンゴに一個1400円も払うお金があるなら、歯医者さんに行った方がいいというようなお顔だった。ニッポンはどこかがおかしい。

気温が上がって損した県もあれば、得した県もある。全国的には中立だ。ところがNHKは既得権集団の現状利権維持をいつも第一に考えるから、これは「大問題」だということになる。環境論者とは基本的に「既得権の現状維持」が一番大切だと考えている人種なのである。超保守主義者なのだ。

ところで、クニヤは最近「ニッポン、ニッポン」を連呼しなくなった。今日も「ニホン」と普通に発音していた。どういう風の吹き回しなんだろう?

2009年12月9日水曜日

BBC : 地球温暖化のおかげでヨーロッパの文明が生まれた!

これは実にいい番組だった:
BS朝日 - BBC地球伝説:"そして、今からおよそ1万年前、再び地球の軌道が変化し、長く続いた氷河期は終わりを告げた。100年足らずの間に気温は10度も上昇し、氷河は一気に溶け始める。何万年分もの雪解け水でヨーロッパ大陸の川は勢いを増し、川の氾濫によって多くの湖が生まれた

大陸中を覆っていた氷河が溶けたことで海面の水位は100メートル以上も上昇し、新たな海岸線が生まれた。これによって、ヨーロッパ大陸の輪郭が、現在とほぼ同じになったのである。ヨーロッパの気候は暖かく穏やかになり、大陸は再び森で覆われ、生命に満ち溢れた。氷河期の到来と終結が、ヨーロッパ大陸の地形と生態系を大きく変えたのである。"
わずか1万年前だったと言うことに、正直感動。ほとんど「歴史時代」の出来事である。気候が変動することで新たな文明が生まれる。「地球温暖化防止原理主義者」達は、この番組をどう見たのであろうか。

そもそも「地球温暖化」なんて本当なの?という「地球温暖化懐疑主義」がヨーロッパで広がっているという:
Climat : le scepticisme, un nouveau poujadisme ? | Rue89: "L'unanimisme qui entoure le sommet de Copenhague a mis à la mode les théories climato-sceptiques.."

www.com-vat.com: "Le bitume est une jungle. Et dans la jungle, il faut apprendre à hurler avec les loups (oui, oui, je sais, il n'y pas de loups dans la jungle. C'est juste une image)."

ハトポッポ君は、きっとこれが「ナウ」なテーマだと思って飛びついたんだろうけれど、実際は「アウト」なテーマだったのである。ニッポンだけが馬鹿を見ることが、日に日にあきらかになりつつある。「エエカッコシイ」君のパフォーマンスのコストを払わされるのはわれわれ納税者。やりきれない。

おいらは地球物理学の専門家でもないので、地球温暖化が本当かどうかという議論には興味はない。自分が完璧に理解できないことは信じない主義なのである。しかし、かりにその仮説が正しいとしても「温暖化」も悪くないんじゃないかと昔から思っていた。それ以上に、たかがちっぽけな人間が地球の気候変動を左右することが出来るという「思いこみ」には嫌悪感をおぼえる。身の程を知らない不遜な企てだ。神様が知ったら、きっとお怒りになるだろう。

2009年12月7日月曜日

すき屋の280円牛丼は、うまい!

ハトポッポ君が引き起こす憂鬱なニュースばかりが続くニッポンにおいて、ひさびさのグッドニュース:
asahi.com(朝日新聞社):すき家の牛丼、40〜50円値下げ 並盛り280円に - ビジネス・経済: "牛丼チェーン最大手の「すき家」を展開するゼンショーは7日、牛丼並盛りの価格をこれまでより50円安い、税込み280円に引き下げた。"

さっそく行って食べてきましたよ。

とっても美味しい。今までいわゆる「ランチ」にバカダカイお金を払わされていたのは、いったい何だったんだろうというのが素朴な実感。

ニッポンの「食い物ビジネス」はもともと利幅が大きいので、ちょっとした工夫だけでめちゃめちゃ儲かるとは「業界」の人のお話。裏返して言えば、巨大広告会社を駆使して作られた神話(ブランド)に拘ってきた今までのニッポンの消費者は、ぼられていたのである。「工夫次第で」牛丼も280円になるのだ。

働きがないのに自分だけはいい思いをしようと画策する輩が多すぎるのがニッポンの根本問題。生産性はほとんど江戸時代のまま極度に悪いにもかかわらず、これこそ「ニッポンの伝統文化だ」とか言っておいらにも人並みの収入を保証しろという身勝手な連中が多いのである。おかげでニッポンの国際競争力は、惨めなまでに低下してしまった。

すき屋では、牛丼ばかりじゃなくって、メニューに選択の幅が広いことも好感が持てるね。「高くとも買います○○品」とかいうこだわりの人は無駄遣いすればいい。大いに結構。でも、そんなものに無駄なお金を使いたくないという人にも選択の余地が与えられてしかるべきである。ところがニッポン社会においては、あまりに選択の幅が少なかった。誰もが、お上が決めた価値基準を強制され、一律にバカ高い値段を払わされていたのである(地球環境のために国民一人あたり年間数十万円余分に払えとか言うのも同じ「お上」の理屈)。この280円牛丼は「アリの一穴」だ。

すき屋よ、ニッポンのためにもガンバレ!

2009年11月17日火曜日

イオンの転換社債の売り込みがしつこい!

おいらもよほどアマちゃんだと思われているのか、一度断ったのになんとか「一口だけでも」と泣き付かれてしまった。このCB。無利息の上に最初から2.5%のプレミアムが付いているので買って償還するまで置いておけば確実に損する仕組み。いくら世の中デフレだといってもこれじゃ買えないので断固断る。これを書いている最中にも別の証券会社からも売り込み。証券会社も売るのに苦労している模様だ。

優待券狙いをするにしても都心にはイオンの店がないのだ。あのビジネスモデルはイナカの農地をがばっと買い占めて農地転用で地主に大いに儲けて貰い、土建屋にもばんばん儲けて貰い、ばらまいたお金をイオンでどばっと派手に使って貰うことで成り立っていた仕組みなんだけれど、最近はなかなか難しいわな。(ニッポンの農家の農業所得より農地転売等不動産所得の方が多いのは知られている事実。いくらなんでもあくどすぎる)

ところで民主党は途上国に環境で大盤振る舞いを決めたらしい:
asahi.com(朝日新聞社):途上国の温暖化対策、12年までに8千億円支援 環境相 - 政治: "【コペンハーゲン=山口智久】小沢鋭仁環境相は16日、途上国の地球温暖化対策支援のため、日本が12年までの3年間に総額90億ドル(約8千億円)を拠出する方針を明らかにした。「鳩山イニシアチブ」の一環。途上国支援の具体策は、13年以降の国際枠組み(ポスト京都議定書)の合意を左右する焦点となっている。"

インドのラメシュ環境相は朝日新聞の取材に対し「日本の寛大さに敬服する。EUや米国も続いてほしい」と評価した。

ニッポンにはとてもそんな余裕はないと思うのだが、これもイナカにお金をばらまけば必ず儲かるという岡田イオン哲学か。

新たなバブルが膨らみつつある。今度のバブルの鳥は「カンキョーカンキョー」と啼く。薄気味悪い。くわばらくわばら。

2009年11月5日木曜日

日経:温暖化ガス25%削減で一番安くつくのは外国から排出枠を買うこと(慶応大学野村准教授)

今朝の日経記事。ネットでは読めないので要点のみ抜粋:
  1. 25%削減の政府目標達成には海外から排出権を取得するのが一番安くつくという試算を慶応大学野村浩二准教授がまとめた。
  2. 一般家庭の負担増は年3万2000円となる(排出枠価格トン30ドルと仮定)。トン80ドルに上がった場合でも年12万7000円。
  3. 一方、国内の削減努力だけで25%削減を実現しようとすれば、年76万5000円の負担となる。
  4. 野村氏は政府の地球温暖化に関するタスクフォースのメンバー。今後の議論に影響を与えそう。

当然こういう主張は無視されるだろう。「環境」で儲けようとする輩のメシの食い上げとなるから「国産品の保護」を訴えるからだ。環境産業は今後の成長産業になると言うが、海外からの排出枠取得よりめちゃ高く付くのであれば、何が国際競争力だ。

なんだか農水産物を巡る議論に似てきそう。損をするのは一般消費者だけ。

おいらが昔から言ってきたとおりの展開となりそうで、憂鬱:

Letter from Yochomachi: 「温暖化ガス25%削減」で、損する人と得する人

小沢環境大臣も発言も「確信犯」だったわけか:
Letter from Yochomachi: 「地球環境対策では、国内メーカーは和牛生産者と同じ手法で儲ければいい」(小沢鋭仁環境大臣)


2009年11月4日水曜日

「地球環境対策では、国内メーカーは和牛生産者と同じ手法で儲ければいい」(小沢鋭仁環境大臣)

今晩のNHK「クロ現」。小沢鋭仁環境大臣の発言には、正直驚倒しましたです:
クローズアップ現代 NHK11月4日(水)放送 実現できるか? CO2削減25%:”野心的な中期目標は日本をどう変えるのか最前線を取材、新政権はマイナス要因をどう克服して低炭素社会を実現するのか、小沢鋭仁環境大臣に聞く。”

和牛は高くても安全でウマイと言う屁理屈で普通の牛肉の5倍以上の値段で売っている和牛生産者を見倣い、日本の製造メーカーも国民に「高尚な目的を説得し、高くてもいいから買って貰え」ということらしい。しかし国産和牛生産者のぼったくり商法には、もうみんな辟易している。世界に冠たる「日本の製造メーカー」をして、「ナショナリズム」を利用し消費者を騙してお情けで生き延びるだけの保護関税だよりの衰退産業になれと言うのか?呆れてものが言えなかった。

また、温暖化ガスを削減しないと地球は破滅してしまうとか言うその「高尚な目的」自体が、あやふやなのである。日本以外では徐々にそういったことにみんなが気がつきだしている。狂信的な思いこみ主義者が政治を支配すると、おまけにそれが時代錯誤の認識に基づいたものであれば、ろくなことはない。

2009年11月1日日曜日

地球環境問題でニッポンだけが突出してしまった、コストを払う日本の納税者だけが損をするという構図か

あらら:
温室ガス「30%」削減目標、EU見送りへ : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞): "【ブリュッセル=尾関航也】欧州連合(EU)は、2020年までの温室効果ガス排出削減目標を、現在の「1990年比20%」から「同30%」に引き上げる計画について、年内は見送る方針を固めた。"

世界はもっと現実的なのだ。ニッポンだけが「環境原理主義」に踊っている。

地球環境に関する最近のNHKなどのマスコミの報道ぶりは異常。正常なはずの日経新聞ですら、夕刊と週末は「環境原理主義者」に支配されている。一種の「ヒステリー現象」がニッポンを覆っている。

米国オバマは「環境政策」に熱心だと言うが、所詮、合理的な「原発」を推進し、中東への依存を減らそうというもの。これには政治経済的な合理性がある。それに対し「鳩ぽっぽ君」の環境政策には、ニッポンのエコ・ポピュリズムに訴えるものではあるが、何ら政治的・経済的合理性がない。PTAオバさん連中は乗せられているようだが、これではますます国益を損ない、ニッポン人はどんどんビンボーになって行く(ここ)。

環境云々は所詮の金持ちの道楽。一人あたりGDPで、あの欧州の落ちこぼれ国イタリアよりビンボーになってしまったニッポンには、そんな余裕はとてもないと思うのだが、鳩ぽっぽ君は地球環境のために日本国民に家計あたり数十万円の余分なコストを払えと言う(これ)。環境をネタに特定利権集団への更なる所得移転を狙った政策であろうが、あきらかに身の丈を越えた大盤振る舞いである。これは如何なものか。

2009年10月30日金曜日

NHK:「温暖化対策による家計負担額試算(36万円)は計算間違いだ」……かなり為にする報道ではないか?

テレビを見たらこんなことを言っていた:
NHKニュース “家庭負担36万円”は誤り:"温暖化対策による負担と経済効果を試算している政府の専門家グループは、麻生政権で行われた試算結果について、「温暖化対策で家庭の負担は36万円」という数値は不適切な計算によるまちがった数字で、温暖化対策で直ちに家計が悪化するという誤解が生じたとする中間報告をまとめました。

この中間報告は30日、総理大臣官邸で開かれた検討チームの会合で専門家グループから報告されたものです。それによりますと、麻生政権が3つの研究機関の試算を基にまとめた「温室効果ガスを1990年に比べ25%削減した場合、家庭の負担額は年間36万円に上る」という試算結果について、可処分所得の減少額22万円と光熱費の上昇の14万円という、本来なら足してはいけない数値を不適切に加算していたもので、「不正確な情報が国民に伝達され、まちがった数字が誤って広められていた」としています。"

まるで「麻生内閣は算数のやり方も知らない、36万円という数字は全くデタラメだった」と言わんばかりの報道だが、どうして所得(可処分所得)の減少額と光熱費の上昇額を足すのは「不適切な加算」なのだろう?

NHKではそのへん何も言っていないが、考えるに「収入減で可処分所得の減少が生ずればそれに応じて(従属変数である)光熱費も少しは下がるはずなので、もともとの光熱費をベースとして増加コストを計算してはいけない」とかいう重箱の隅を突っつくような新人研修的な話だろうが、そんな違いは誤差でしかない。わかりやすさの方が遙かに大切なのだ。それをあたかも「あの試算はすべて信用ならない、温暖化対策で国民負担は増えない」という風に持って行っているのである。

森鷗外や永井荷風も文壇でケンカするときによく使った姑息なやり方だが、ポリティカリーコレクトなNHKは結論だけを取りあげて、意気揚々。

専門家グループももし麻生内閣時代の試算が間違っているというなら、正しい数字をまず出すべきだろう。ご指摘のように「算数の問題」であるなら、正しい正解はすでにお持ちのはずであるのだから。「36万円ではなく35万9千円でした」と言うことなのか? またより厳密にと言うのであれば、光熱費の増加、可処分所得の減少、支出減、収入減、可処分所得の減少、光熱費の圧縮、所得減という一連の乗数効果を収斂するまで計算してはどうか。36万円よりもっと増えるのではないか。

2009年10月11日日曜日

TBS:危険生物大図鑑……「自然」は危険でいっぱい、昔のニッポンもそうだったな

この番組、面白かった:
飛び出せ!科学くん 驚愕!最凶の危険生物大図鑑スペシャル - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]:"「ココリコ田中が危険生物捕獲に挑む!」最も巨大で最も凶暴 世界一人間を襲うホオジロザメ。そんなホオジロザメの鼻に、船の上からタッチする男が南アフリカにいるという!そこで芸能界一サメ好きのココリコ田中が、ホオジロザメの鼻タッチに挑戦するべく南アフリカへ!果たしてその結末は!?「ほっしゃん。がグンタイアリの恐ろしさを体感!」筋肉を溶かす猛毒を持ち、集団で襲いかかるグンタイアリ。その恐ろしさを体感する為、コスタリカ共和国へと向かったほっしゃん。しかし恐ろしいのはグンタイアリだけではなかった。猛毒ヤドクガエル、吸血コウモリ、タランチュラ、次々現れる危険生物たち。そしてついにグンタイアリと遭遇!果たしてほっしゃん。の運命は!?ほか"
もともと「自然」とはこういうものなのである。危険でいやらしい生物でいっぱい。この番組でよく分かる。それを住みやすくしたのが「文明」というもの。

昔のニッポンでも「自然」は凶悪だった。ノミ、シラミ、ムカデ、ゴキブリでいっぱいだったのである。古事記でも書かれているし、江戸時代の芭蕉も嘆いていた。第二次世界大戦後の日本もムシだらけで、占領軍はDDTをまき散らした。

最近になってようやく日本も嫌らしいムシが少なくなってきた。ところがそれに対応してか、「生物多様性」を主張するへんな環境論者がのさばりはじめたのは困ったことである。ノミとシラミとゴキブリは、やっぱり絶滅させた方がいい。

2009年10月3日土曜日

2016年オリンピック、東京敗退 「環境と安全」のスローガンじゃ、しょうがないわな

「環境と安全」なんかには「もう、うんざり」という世界の「空気」が読めなかったのが、石原君の敗因だな。

オリンピックはしょせんお祭り。みんなが「どこにいってみたいか」で勝負は決まる。大会運営の完璧さなんかはどうでもいいこと。いい加減でも楽しければそれでいい。古来のオリンピックとはもともとそういうものだ。

その「いい加減さ」の面白さという意味では、東京は良い線を行っていた。街中に空中電線が張り巡らされた東京の都市景観は世界すべての近代都市に大きく見劣りし、まさに「巨大な農村景観」そのもの。とても「エキゾチズム」があった。それを武器に前近代的「エキゾチズム」を売り込めば、まだ東京にもチャンスはあったのかも知れないけれど、先進国の振りをして高い目線で「環境と安全」となんかやったのが間違いだった。

そもそも今のニッポンでヒステリー的に叫ばれる「環境と安全」なんかには、もううんざりしている人が世界には多いのである。それはさておいても、そもそも東京が「環境」を云々するにはまだまだ100年早い。ニッポンで叫ばれる「環境」とは、その対策でメシを喰おうとするイナカ利権集団が言い立てている政治的スローガンにしか過ぎない。イナカ利権集団への富の移転システムこそが「世界の潮流」だと誤解してしまったことが東京の敗因だった。ニッポンの常識は世界の非常識なのである。

その風潮に迎合して利得を得ようとするにせよ、「安全」を訴えるのであれば統制国家の大将である将軍様の方がよほど有利だっただろう。「環境」を言うのであれば、東京の貧弱な都市環境をすこしは先進国並みにして、国中のイナカに蔓延る税金で建てあげた醜悪な箱物とコンクリート構造物を撤去してから言って欲しかった。

リオデジャネイロは面白いと思う。あのめちゃくささが、とても真っ正直で、なんとも言えない。この機会にもう一度行ってみたいと思う。

2009年9月28日月曜日

温暖化ガス25%削減のため一人一人がやれること

NHKラジオを聞いていたら、消費生活アドバイサーなるオバさんが、25%削減目標を日本として達成するためには、コンセントを抜けとかトイレの水を節約しろとか、いろいろチマチマしたことを列挙していた。なんか「愛国主婦の会」を思い出してしまった。今さら「パーマネントは止めましょう!」でもないだろう。散人流の「結果が出る」対策をご披露する:

鳩山ポッポ目標を達成するために、一人一人の日本国民が、真剣に、心して、毎日やらねばならないこと:
  1. 国内旅行をしない。エネルギーの無駄遣いであるばかりでなく、公共交通機関を使えばバイ菌(インフルエンザウイルス)を貰ってしまう。タバコも吸えない。家にいる方がいい。
  2. 国産農産物は食わない。ニッポンの農業が如何に石油をじゃぶじゃぶ使う石油浪費型産業であるかは、実際現場を見てくればわかる。輸入農産物を食う。遙かに省エネ農業であるし、第一、国内の温暖化ガス産出量計算の対象とはならない。
  3. 「地産地消」をやらない。エネルギー計算で地産地消は非効率的であることが立証されている以上に、地産地消で喰っている人たちに所得を保障し養わねばならないので、扶養家族が多い分だけトータルの石油需要は増えてしまうのである。
  4. 回らない鮨屋で鮨を食わない。いわゆる高級国産魚とはエネルギーと資源の塊。漁船は毎日数十万円も軽油をじゃぶじゃぶ使いながら魚を獲るが、いわゆる高級魚を狙ってのこと。安い魚は捨ててしまう。高級養殖魚にしても自分の目方の何倍もの安い魚を食って育つ。まことに背源の無駄遣いである。
  5. 農水産物ばかりでなく、工業製品も国産品ではなく舶来の工業製品を買う。そうすれば国内で排出する温暖化ガスは確実に節約できるし、財布の節約にもなる。国産品はたいてい規制で守られているため規制で喰っている人たち(概ね公務員)を食わすためにその分、割高になっているからだ(外国では2万円程度で売られている国際VHF無線機が同じメーカーのものが国内では数十万円もする)。これまたニッポンでは扶養家族が多すぎるのでその分温暖化ガスの排出量は増えるという仕組みである。(錦の御旗は「安全・安全」、ニッポンでは人の命は地球より重いのだ)
  6. 子どもは出来るだけ少なくする。人間こそ温暖化ガス排出量増加の根本要因。
  7. 「グルメ」をしない。食い物は質実剛健で行く。毎日テレビで「オイシ〜!」の絶叫番組を見さされるのは、正直苦痛である。ニッポン人はかくまで食い物に卑しくなってしまったのかと、暗澹たる気分となる。

これらはなにもめずらしいことではない。かつての経団連会長土光さんは公団住宅に住んで毎日メザシを食っていた。アメリカのこどもたちのランチはピーナツバターサンドウィッチだし、ヨーロッパのブルジョワ家庭の朝飯はコーヒーとパンで、夕食はスープとパン、それにハムかチーズが普通。昔のニッポンももっと質実剛健だった。現代ニッポンだけが特定利権集団に踊らされた異常な消費行動をしているのである。その結果、みんなメタボ。なかにはダイエットする人もいるが、その結果虚弱体質となり病気になるので国民医療費が増えてしまう。これまたもったいないことである。

でも「消費生活アドバイサー」とか言う人は、こういう簡単な算数の計算が出来ないようで一切これについては触れない。彼らもまた「地産地消」で得する「既得権集団」に属しているから、しょうがないか。

2009年9月20日日曜日

なぞなぞ(エコロ系):なんで欧米では完全に死語となった「ロハス」がニッポンではもてはやされるのでしょうか?

テレビを見ているとまたしても「ロハス」礼讃番組。「ロハスはアホだね」とカミさんに言うと、「ロハスとはなんぞや、聞いたこともないぞ」という反応。うちのカミさんは60年代からの筋金入りのフランス左翼インテリで世界の新聞は毎日読破するという貴重な散人の情報源。それが「ロハスとはなんぞや」という。驚きました。さっそく調べてみると、その通りでした:
LOHAS - Wikipedia: "LOHAS(ロハス、ローハス)とはLifestyles Of Health And Sustainability (健康と持続可能性の(若しくはこれを重視する)ライフスタイル)の略。健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイルを営利活動に結びつけるために生み出されたビジネス用語である。
日本では一時的に注目されたが現在では完全に下火となっている。"

そうだったのか! なんでNHKなぞのテレビではいまだに「ロハス礼讃番組」のオンパレードなのだろう。考えるにこういうことだろう:

つまり、「ロハス」をメシの種にしている農村既得権集団の影響力がニッポンではいまだにすごく強いと言うこと。日本の農協(全農)は巨額の資金量にまかせてニッポン最大の巨大広告会社や経営状態の悪いテレビ局を買収し、自分たちの都合のいいようにニッポン人の洗脳プログラムをはじめていることは既に知られていること。「ロハス」とはあいつらにとって恰好のキーワードだったわけ。おかげでナイーブなニッポンの主婦層は、ブランド信仰と同じ感覚でこれが世界のスタンダードだというばかりに「ロハス、ロハス」と喚くことになった。自分たちが時代遅れですごくカッコワルイということに気がつかされていないのである。

「温暖化ガス25%削減」についてもそう。世界のまともな国では誰もそんなことは真面目に考えていない。人口を減らす以外にはとても実現できない目標なのである。散人が小さいときの世界人口は20億人(中国は4億人)、いまや60億。日本も日露戦争当時は人口は3000万人に過ぎなかった。世界的に人口が増えすぎたことは事実。民主党が本気で温暖化ガス25%削減を言うなら、事後ピルの全面解禁や子供を作るのは罪であるとする「一人っ子政策」を導入するべきだろう。それをやらないで(まるで反対の「子育て支援」なんかやって)「国際的リーダーシップを発揮する」というのは、落ち目の国が伸び盛りの他国に桎梏をはめることで自国の相対的地位を維持しようとするエゴイスティックな陰謀にしか過ぎない。民主党がそこまで悪知恵があるとは思えないし、そもそもそんな国際的影響力はない。単なるアホなのである。

ともあれ農村既得権集団の宣伝に惑わされて「ロハス」なんか言っていると、世界的に恥をかくことになるというお話し。おわり。

2009年8月19日水曜日

NHK:「ちょっと変だぞ 日本の自然」……ああ、クサイ!

憂鬱にさせられたこの番組:
NHK 番組表: "日本各地で身近な自然に異変が起きている。外来生物の侵入などによって生態系のバランスが崩れようとしているのだ。異変の原因を探り、環境を守るために何が必要か考える。"
外来種はなんでも危険だという。「環境攘夷主義」がニッポンを風靡している。

松が枯れているのは外来生物のおかげだという。でもそもそもマツなんて、ニッポンの古来からの植物ではない:
「日本の雑木林はニセモノだ、本来の森に帰せ」(宮脇昭): "マツにしてももともと条件の悪い山頂部などに限定して生えていただけのもの。それが人間が広げてしまった。マツクイムシの大発生は自然の摂理。"

最近しつこく繰り返されるNHKの「環境攘夷主義」番組は、ニッポンの農村利権集団が資金提供している「外来動植物排除の攘夷キャンペーン」の一環だろう。あいつらがこれこそニッポン文化だと主張する「コメ」だって、元はといえば外来植物だと言うことは全く忘れられている。

2009年7月5日日曜日

Le Monde : 「エコロジーなんて、糞喰らえ!」

Merde à l'écologie ! - Opinions - Le Monde.fr
これはとても共感を覚える記事。エコロ真っ盛りのニッポンは、50年遅れているんじゃないか。エコロは、十字軍と同じでまったく狂信的な宗教理念だ。それに疑問を投げかけると、それだけで怒り出す。複雑な問題に単純極まりない解決方法を提示し、その解決方法に異論を唱えるものは軒並み火炙りにしようとする。異論を全く受け入れないのだ。ナチとかイタリアファシズムも全く同じだった。「スローフード」とやらは近代文明に劣等感を抱くファシストがつくり出した運動であったことが興味深い。ニッポンのエコロも、しょせんファシストか。

農村既得権益集団に利用されてしまったおかげで、ニッポンのエコロとやらは「内向きナショナリズム」の一つの表現形態に過ぎないものに堕落している。嘆かわしいことである。

残っているうちに記事全文をコピーしておく:

Merde à l'écologie !
LE MONDE | 04.07.09 | 14h18 • Mis à jour le 04.07.09 | 14h18

Jsqu'à maintenant, il faut bien le reconnaître, l'écologie, je m'en foutais complètement. La fonte des glaces, les oursons qui se noient, la couche d'ozone poinçonnée de partout, l'avenir de mes petits-enfants irradiés et la nourriture pesticidée... Sincèrement, je dormais bien avec.

J'avais bien essayé de prendre conscience de ma responsabilité d'être humain, mais en réalité, ma responsabilité d'être humain, j'avais plutôt envie de lui dire d'aller se faire fondre, comme sa soeur, la banquise.

Tout cela ne faisait de mal à personne, puis l'écologie nouvelle est arrivée, pas celle des marguerites et du foin, l'écologie majuscule, la sérieuse, la consciente de..., la responsable de..., celle qui pèse en politique, celle sans qui l'apocalypse serait pour demain matin.

Je suis resté sur mes positions, je me suis rapproché des zones industrielles, j'ai mangé du maïs muté, j'ai aérosolé ma maison, mais j'ai bien senti que je n'étais plus aussi libre de mon inconséquence, l'écologie, on avait plus le droit de s'en foutre. On a d'ailleurs plus droit de se foutre de rien.

Pourquoi ? Parce que la morale.

Pris entre les mâchoires du bien et du mal, le destin de l'inconséquent est d'être mastiqué. L'écologie l'a bien compris, la morale est une arme de construction massive. Après des années de présence virtuelle, et prenant exemple sur de glorieuses réussites antiques, elle se désigne désormais comme l'incarnation du bien commun (le bien commun se définissant comme le bien que l'individu ressent mal). Incarner le bien commun impose des concessions à la tolérance et un détour obligatoire par les chemins de la culpabilité.

Morale et culpabilité partagent siamoisement leur espace.

Le culpabilisateur laïque est la grande figure du monde contemporain. Par un étrange glissement, l'intolérance a quitté sa soutane. Après des siècles de dévalorisation orchestrée par saint Augustin et ses disciples, autour du péché originel qui fit de nous des êtres de faute, nous révélant que le geste le plus anodin, comme croquer une golden dans un jardin, pouvait entraîner une catastrophe collective éternelle, la culpabilité est sortie des églises.

Le monde laïque, qui depuis la révolution a forgé son identité dans la lutte contre le satan religieux, a récupéré son arme la plus nocive. La faute individuelle engage le reste du monde.

Observons l'évolution de la lutte antitabac. Quel a été l'argument fondamental qui a réglé le destin de nos frères fumeurs martyrisés ? Le tabagisme passif. Le fumeur tue. L'homme au clopeau constitue un danger pour autrui, passant passif inhalateur de volutes. C'est la révélation de la responsabilité collective du futur cancéreux qui a eu la peau de son filtre.

L'écologie applique le même système de culpabilisation de l'individu que l'on retrouve partout dans notre société, une vraie pandémie d'hyper-responsabilisation qui écrase l'homme aspirant à l'humilité de n'être toxique que pour lui-même.

On le sait, la morale est l'impôt perçu par la collectivité sur la liberté de l'individu. Lorsqu'elle nous force à respecter les Dix Commandements, ça va. Je ne suis pas pour le massacre de mon prochain et le respect du père et de la mère me paraît recevable, depuis que j'ai des enfants. Mais Dieu a-t-il écrit sur les tables de l'Arche d'alliance "Tu ne pollueras point ta planète" ? Non. Donc, pas de zèle.

La laïcité se fondamentalise, autour de thèmes qui sont devenus aussi sacrés que les reliques rapportées des croisades : la nature, la santé... Elle a ses adorateurs, elle a ses hérétiques. Son bras séculier s'abat lourdement sur le quotidien de ceux qui n'aspirent qu'à respirer un air qu'elle n'aura pas purifié. Elle a trouvé dans l'écologie son armée d'inquisiteurs, pas plus rassurants que les premiers.

Les avez-vous bien regardés, ces protecteurs de notre avenir qui prolifèrent autour de nous comme des mousses, ces flics sans uniforme qui radarisent notre liberté ?

Ils pensent que le quidam est aussi dangereux qu'une usine nucléaire. C'est sur lui que tous les efforts doivent porter par une rééducation purifiante. Ce ne sont pas seulement des soixante-huitenaires prêcheurs, mais des jeunes gens concernés, énergiques, des bons petits qui pour nous sauver sont prêts à nous pourrir la vie avec une motivation éternellement renouvelée. Ils ne font pas peur, ils sont séduisants pour la plupart, rarement gros, rarement barbus, rarement de droite. Ce sont des braves gens.

Ils ont presque toutes les qualités, il leur en manque une, toujours, l'humour. Un écologiste avec humour intégré n'en est pas un. Le sourire trahit le transfuge. L'écologiste drôle s'occupe de son propre développement durable et pas de celui de la planète. Voir les dernières élections européennes.

Moi, ils m'attristent ces concernés par le futur. Ils croient dur comme fer que la pollution est leur ennemie. Verts de trouille, les écolos, et engagés à coeur battant pour la protection de la nature. Comme si nous la menacions, la nature. J'ai lu qu'à Tchernobyl, poussaient des champignons noirs qui transformaient les radiations en substance organique, qu'une requine blanche, dans un zoo, célibataire depuis trois ans avait accouché d'un bébé requin sans père.

Un clone spontané. La faible nature. La fragile, qui nous a attendus cinq milliards d'années pour rendre son dernier soupir. Elle doit bien rire de notre minuscule toxicité, la vieille infectée, immunisée à mort, par ses anticorps anti-humains.

J'ai toujours pensé que c'était la nature qui nous polluait, pas l'inverse. Elle aura notre peau, l'ingénue. D'ailleurs, elle a commencé, la pollution la plus menaçante pour l'atmosphère terrestre est la plus naturelle de toutes, les flatulences méthanisées de nos soeurs bovines.

Voilà. En tant que citoyen irresponsable, je sais que mon avenir est sans lendemain. Coupable de sérénité. J'inhale à plein poumon les gaz de ma planète. Au bout du compte, il se pourrait que l'air pollué soit le dernier air respirable.

Ecrivain, médecin spécialisé en neurologie et licencié d'histoire à la Sorbonne, est l'auteur de deux romans aux éditions Grasset : "Blouse" (2004), "La Grande Garde" (2007), et d'un essai aux éditions du Regard "Maître Eckhart peint par Van Eyck". Il a publié en 2008 "L'Ami de jeunesse", roman qui met en scène la renaissance à la vie d'un psychiatre prénommé Antoine

Antoine Senanque


最近内田樹が同じようなことを書いていた。これ:

エネルギー政策について (内田樹の研究室): "環境問題は女子学生の好む主題であるが、私はあまり好まない。

理由の一つは「複雑な問題に対して単純なソリューションを対置する」態度が広く採用されているからであり、理由の第二はそう指摘するとすぐに怒り出す人が広く分布しているからである。

そういう種類の人間がダマになっている論件に近づいても、あまりいいことがないので、敬して近づかないのである。"

近づかなくていいものに敢えて近づくから、おいらみたいな人間はたいへんな目にあってしまうのである。でも、敢えて言う人がいないと、ニッポンはますますダメになってしまうから、云わざるを得ない。